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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)9541号 判決

亡桜井忠吾訴訟承継人 原告 桜井忠雄

外一名

右両名代理人弁護士 吉岡大輔

被告 武田喜久枝

右代理人弁護士 井上四郎

外三名

主文

一、被告は、原告各自に対し金一三三、四三二円八六銭支払え。

二、原告両名のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを四分し、その三を原告両名の、その余を被告の各負担とする。

四、この判決は原告両名の勝訴の部分に限り、夫々金四万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、(本件建物の賃貸借契約)

(一)  始めに、本件建物の所有権の存在が前提となるのでこの点から考察する。

成立に争のない甲第二号証の一、二原告忠雄の供述(第二、第三回)により成立を認めうる同第二二号証の三によれば一応原告主張の如く原告先代が被告に対し本件建物の建築を請負わせて、その請負代金を支払つたもののように見受けられる。少くともその形式的証拠はととのつている。しかし、し細に本件各証拠を検討してこれと対比すると、果して右各証に記載された通りの請負契約並びにその請負報酬金の授受がなされたものか否かについては疑問を禁じえない。まず成立に争のない乙第四号証は、原告先代の被告宛昭和二二年二月二〇日附の本件建物賃貸借契約に基く造作代金四万円の領収書であることその記載から明かであるが、この代金については原告先代の現金出納簿であること原告忠雄の供述(第二、第三回)により認められる甲第二二号証の一ないし五にはその記載がない。(原告らも上記四万円は受取つていないことは自認している。昭和三三年七月五日付準備書面第一項)成立に争のない甲第三号証は、原告先代が被告に対し本件建物の完成を条件として賃料一ヶ月四〇〇円、敷金一、二〇〇円、造作は被告において原告先代より四万円で買取る約定の本件建物の賃貸借契約書であることはその記載から明かであるが、請負代金及び敷金の授受のみ行われて造作代金の授受は領収書が作成されていながら履行されていない。原告らの主張のとおりであるとすれば、なぜかかる架空の領収書の作成がなされたのであろうか。又その必要はどうしてあつたのであろうか。これを説明できる合理的根拠はなんら見出しえないのである。

次に疑問とするのは約定請負報酬が四五、〇〇〇円であるのに(甲第二号証の一)その領収書の金額が四一、二〇〇円(甲第二号証の二)となつている点である。甲第二号証の二は、その記載によるも請負報酬の一部金の領収書であるとは見られない。(本件全証拠による残額三、八〇〇円の支払のあつたこと又はその免除のあつたことを認めるべき証拠はない。)とすると叙上の如く金額にくい違いがあるのはおかしいではないか。(四一、二〇〇円という請負代金領収書の金額が甲第三号証の家屋賃貸借契約により被告が原告先代に支払うべき敷金一、二〇〇円、造作四万円合計金額と一致しているのは単なる偶然の一致であろうか。)又、実際本件建物は叙上の如き報酬額で建築できたものであろうか。原告提出にかかる甲第二三号証の一ないし九(上記各証はいずれも原告忠雄の供述により真正に作成されたものと認めうる。)によるも本件建物に隣接する建物(本件建物と同一坪数、同一構造と窺われる。)を、原告先代は、本件建物建築当時六万円で訴外川辺藤次郎に請負わせている点に照らしめても、四五、〇〇〇ないし四一、二〇〇円では本件建物は建築しえなかつたものと認めざるをえないのみならず、証人川辺藤次郎、同武田忠蔵(第一回)被告本人の供述(第一、二回)によると、本件建物は、被告において昭和二二年二月一六日訴外川辺藤次郎に対し、請負報酬を七五、〇〇〇円(なお、原告先代が川辺に六万円で建築を請負わしめた前記隣接建物の建築費を補う意味で一五、〇〇〇円を加算し九〇、〇〇〇円支払うことにする特約)と定めて建築を請負わしめ、その頃川辺はこれを完成して被告に引渡し、被告右九万円をその頃川辺に支払つたことを認めることができるのである。

以上のように見てくると、前掲甲第二号証の一、二、甲第二号証の三はいずれも形式的には原告の前記請負契約成立請求代金の支払の主張を支持するに足る有力な証拠であるが、その記載に副う実質的証拠力に乏しく、従つて原告の右主張を認めるに足らず、この点に関する原告忠雄の供述も信用できず、ほかに右主張を肯認するに足る証拠はない。

(二)  しかしながら原告らは、右請負契約が認められず、被告において右建物を建てたものとしても被告はこれを原告先代に無償で譲渡したものであり、それを被告に賃貸したものであると主張するので以下この点について考察する。

前出甲第三号証、成立に争のない甲第四号証の一、二、同第五号証本件建物の写真であることについて争のない甲第一一号証の一に証人川辺藤次郎、同武田忠蔵(第一、二回)原告忠雄の供述(第一ないし第三回)被告本人の供述(第一、二回)(いずれも後記措信できない部分を除く)に本件弁論の全趣旨を綜合すると次の事実を認めることができる。

1  原告先代は東京都千代田区神田鍛治町三丁目一一番の一の土地を所有していた。(この点は争がない。)同土地に当初原告は自己資金で家屋を建てる考えであつた。被告は、昭和二一年春頃当時都内木挽町に住んでいたが原告に右家屋が完成したら貸してほしいと申込み、三万円の手付金を交付した。

その後原告は自分の方で現在建てられないからと被告に申し出て右の三万円を返した。その後被告は、被告の方で家を建てるから貸してほしいと原告に申入れた。原告は、これを了承し、被告は、自己の資金によつて本件土地上に、かねて原告が所轄官庁に提出してある建築許可願に基き本件建物を建てることになり、昭和二二年二月一六日知人の川辺藤次郎大工に請負わしめて本件建物を右地上に建築させた。(その報酬額及び特約については前に認定したとおり。)同年二月二〇日頃、原告先代は被告との間の法律関係を明確にするため甲第二号証の一(請負契約書)甲第二号証の二(請負代金領収書)甲第三号証(賃貸借契約書)乙第四号証(造作代金領収書)(以上いずれも前出)を作成してその記載の契約を結ぶことを申入れた。上記の各文書によれば、被告が原告先代から本件建物の建築を請負い、その請負代金の支払を受け、原告から右建物の完成を条件として無断転貸又は賃借権の譲渡行為を禁じ、賃料一ヶ月四〇〇円、毎月末持参払、賃借人において無断転貸又は賃借権の譲渡をなした場合又は賃料の支払を二ヶ月分以上遅滞したときは貸主において直ちに本契約を解除することができる旨の約定で期間を定めず右建物を賃借する趣旨のものであつたので被告としては本件建物は自己の資力で建てるものであつて原告から建築を請負つたものでなく、又原告から建築資金の供給を受けるものでもなかつたので内心不満であつたが一日も早く同所で店舗を開きたいため原告の要求に応ずることにし、右文書の作成を承諾した。而して右建物は同年三月中旬頃完成したので被告は右建物に居住し、店舗を開いて飲食業を始めた。

その後被告において右賃貸借契約書に定められた賃料については、昭和二三年四月分から合意の上一ヶ月二、〇〇〇円に増額されたが原告先代の一ヶ月六、〇〇〇円の値上要求のあるまで(昭和二五年七月分まで)遅滞なく、かつ異議をとどめることなく支払い、その後の賃料については、「家屋賃貸借契約に基く賃料」として供託し、かつ本訴提起に至るまで本件建物の所有権を争つたことはなかつた。

2  その間において、被告は昭和二二年八月、本件建物の西側に下屋、出窓を増設したことがあつたが、原告先代の要求により、本件建物返還の際はその侭若しくは原形に復するか原告先代の指示に従う旨の誓約書を差入れ、(甲第四号証の一)更に昭和二五年九月、本件建物の正面に庇を取付けたことがあつたがこれについても原告先代の要求により移転の際には原形に復する旨念書を差入れた。(甲第四号証の二)

3  本件建物は国鉄神田駅に至近の距離にあり、地利を得たところに建つているが、被告は原告先代に対していわゆる権利金を支払つていない。

前記各証言ならびに供述中、右認定にてい触する部分は信用できない。

以上の認定事実に当事者間に争のない「本件建物は原告先代が建築申請をなし、建築完成届を了し、家屋台帳には原告先代所有として登載され原告先代において固定資産税を納付している。」事実をあわせ考えると、本件建物は、被告において建築したものであるが被告が本件建物の如き至便の場所を使用しうることによる場所的利益(権利金)を支払う代りに被告においてその建築費を負担して賃借したものと考えることができる。これを法律的に見れば、本件建物を建築するに当り被告において、被告の出費によつて建築する本件建物を完成と同時に原告先代に譲渡し、改めて被告において原告先代からを既述の如き条件にて賃借する旨の取りきめがなされたものと見ることができる。

(三)  なお昭和二七年一一月二日近隣の出火に因り本件建物の二階部分が殆ど全焼したところ、被告が原告先代の承諾を得ることなく同年一二月一三日から同月一五日の間に右建物二階の焼け残り部分を撤去して同所に木造トタン葺約七坪五合の二階部分(従前のものと坪数及び構造は同一)を造築したことについては当事者間に争なく、右事実によると右新築した二階部分は焼失させる本件建物の残存部分(一階)と一体をなすものでその構成部分の一部となつたものであることは明かであるから民法第二四二条により、原告先代において右新築にかかる二階部分の所有権を取得したものというべきである。従つてその部分も本件建物の一部として賃貸借の目的物となつたものというべきである。又原告先代が昭和三〇年七月一七日死亡し原告らが相続人としてこれを相続したことについては当事者間に争がないから、原告らは相続により本件建物を取得するとともに本件賃貸借の賃貸人としての権利義務を先代から承継したものというべきである。

二、(無断造築を理由とする賃貸借の解除の主張について)

前記争のない事実から明かなように、被告のなした本件建物二階部分の造築は、貸主である原告先代の承諾を得ることなくなされたものであるけれども右は解除の理由となりうる程度に貸主に対する背信行為をなしたものと云えるであろうか。

右造築工事を被告において敢行するに至つた事情は、証人武田忠蔵の証言(第一、二回)被告本人の供述(第二、三回)によると、原告先代と被告との間においては昭和二五年八月以来、同月分から賃料値上げの問題について紛争があり、被告は、同月分以降の賃料を供託していたが、昭和二七年一一月二日近隣の出火に因り本件建物の二階部分を焼失した事故が起きたので、早速父の武田忠蔵を通して原告先代に対して数回にわたり右焼失部分の復旧工事について折衝を試みた。被告としては、原告先代が本件建物に火災保険を掛けていて、右火災により保険金を受領しているのでその掛金を控除した分を焼失家屋部分の復旧工事をする費用に廻し、なおそれでも不足する場合はその分は被告の負担とすることにして速かに右工事を施行してほしいと要求したのに対し、原告先代は、復旧工事の費用は全部被告の負担とし、建築を請負う大工については貸主の方で選任する。同時に従来増額を請求していた一ヶ月六、〇〇〇円の賃料額はこの際承諾してほしいと主張して譲らないため交渉はなかなか妥結に至らず焼失以来一ヶ月余を徒過するに及び被告側としては本件建物は生活及び営業の本拠(一階は店舗)であるので一日も早く復旧する必要に迫られておつたのでやむなく前に本件建物の建築を依頼した川辺藤次郎に、焼失した二階部分の跡に従前のものと坪数及び構造の同一なるものを建築させて復旧工事をなしたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

なお、右工事をなすに当り、既存の建物に毀損又は変更を加えたような形跡をうかがわしめる証拠もない。

原告らは、被告が昭和二七年一二月一三日から同月一五日までの間に右工事をなしたことを以つて原告先代からする工事禁止の仮処分の執行を避けんがためにかかる日を選んだものであると主張するが被告が特に原告主張の如き意図のもとにかかる日を選んだものと認むべき証拠はなく、土曜、日曜、月曜の三日間に右工事をなしたことの一事を以つて、右の如き意図のもとになしたものであると推認することはできない。

さて、以上の如き事情の下において、賃借人において賃貸人の承諾を得ることなく前記の如き工事をなしたことは、一概に賃借人側のみ非難すべきものとは考えられない。又右工事は建物の焼失した部分を復旧したものであつて賃貸人(所有者)に対して利益にこそなれ別にさしたる不利益を招来するものとは考えられない。(必要費もしくは有益費償還の問題が残るとしても)このような見地に立てば、被告が右工事を貸主に無断で敢行したことを以つて賃貸借契約を解除するに足る貸主に対する著しい背信行為をなしたものとは云えないので右工事を以て背信行為とし、これを理由とする原告先代の賃貸借の解除はその効力がない。

三、(無断転貸又は賃借権譲渡を理由とする賃貸借の解除の主張について)

本件建物を訴外海野重蔵が被告から転貸又は賃借権の譲渡を受けた事実は甲第一九、第二〇号証によるもこれを認め難くほかにこれを認めるに足る証拠はなく、証人佐久間璋治の証言、被告本人の供述(第三回)によれば、海野重蔵は被告の依頼によつて税務署等に対する関係から昭和二五年一〇月一〇日以降被告が本件建物で営む飲食業の営業上の名義人になつたものにすぎず営業の実体は被告にあり海野は本件建物をかつて占有したことがないことが認められるから無断転貸、賃借権の譲渡を理由とする原告先代の賃貸借の解除はその効力がない。

四、(賃料不払を理由とする賃貸借の解除の主張について)

(一)  賃料増額請求について

原告先代が昭和二五年七月末頃被告に対して従来一ヶ月二、〇〇〇円の賃料を同年八月一日以降一ヶ月六、〇〇〇円に増額する旨の意思表示をなしたことは当事者間に争がない。よつて本件建物の相当賃料額について考察する。借家人が建築費及び修繕費を全部負担した場合(本件建物については既述の如く上記の場合に該当すると考える)における昭和二五年八月当時における本件建物の一ヶ月の相当賃料は、鑑定人米田敬一の鑑定の結果によると三、三二一円であることが認められる。鑑定人松尾皐太郎の鑑定の結果は、本件建物を昭和二四、五年当時建築したものとして計算している点及び場所的対価を建物価額の基準に含めている点において採用できない。

さて本件建物の賃料については、昭和二三年四月分から一ヶ月二、〇〇〇円に改訂されたこと。本件建物の所在地は国鉄神田駅に至近の距離にあり地利を得ていることについてはさきに認定した通りであつて、原告先代が増額の請求をする昭和二五年七月末までの間において、二年四ヶ月という期間が経過し、その間経済事情の変動によつて本件建物の所在地の如き大都市の市街地においては土地価格、地代、公租公課、家賃の著しい増徴があつたことは顕著な事実であり、又前記認定のように増額請求当時における相当賃料三、三二一円は従前の二、〇〇〇円の賃料額に比して約一・七倍高額のものである点に照し原告先代のなした増額請求は借家法第七条に定める要件を具備するものというべく右一ヶ月三、三二一円の限度において昭和二五年八月分より賃料増額の効果が生じたものであるというべきである。

(二)  契約解除について

本件賃貸借契約には二ヶ月分以上賃料の支払を遅滞したときは直ちに右契約を解除することができる旨の特約が存したことについては前に認定したところであり、原告両名が右特約に基き右契約を解除する旨の意思表示をなし、右意思表示が昭和三三年一〇月四日被告訴訟代理人に到達したこと及び被告が昭和二五年八月分から同二七年一一月分まで一ヶ月二、〇〇〇円の割合による従前の賃料額を供託していることについては当事者間に争はなく、昭和二五年八月分から昭和二七年一一月分までの、増額された賃料から右供託分を除いた残額及び昭和二七年一二月分以降右解除の意思表示の到達する迄の間の賃料債務を被告において弁済していないことは被告の明に争わないところである。

証人武田忠蔵(第一、二回)の証言に被告本人の供述(第三回)をあわせ考えると、被告は原告先代から賃料の増額請求を受けるや、被告自身或は父の武田忠蔵を通して当時東京都千代田区神田鍛治町一丁目通称闇市にあつた原告先代の事務所に赴いて現実に昭和二五年八月分の従前の賃料額二、〇〇〇円を提供し、かつ本件建物を被告において建てたものであり、又原告先代の請求は一挙に従前の三倍(当初の一五倍)という過大な要求であるからこれを三、〇〇〇円位の妥当な線まで下げてくれれば承諾してもよいと申入れたのであるが、原告先代はこれを拒絶したので当時同じく原告先代より賃料値上げ請求を受けていた近隣の者四、五人と相談の上、右値上げ問題の解決を田代弁護士に一任し同弁護士の提案によつて右の問題が解決するまで前記供託を継続したこと。その後本件建物の二階部分が火災になつた時にもその復旧問題とともに前記賃料の点も問題になつたのであるが、結局妥結に至らずその後原告先代から昭和二七年一二月一六日本件賃貸借解除の意思表示を受けるまで(同年一一月分まで)上記供託を引続き継続していたことを認めることができる。原告忠雄の供述中右認定に反する部分は信用できない。

右認定の事実よりすると後述の如く右供託に一部弁済の効力が認められるものとしても被告は、昭和二五年八月分から昭和二七年一一月分までの賃料については一ヶ月三、三二一円の賃料額から供託分の一ヶ月二、〇〇〇円の賃料を控除した分だけ一ヶ月一、三二一円の割合で履行遅滞に陥つていたものといわざるをえない。(昭和二七年一二月分以降の賃料については、貸主たる原告両名において、前記解除の意思表示によつて本件賃貸借の存続を否認して賃料を受取る意思のないことを明白に表明しているものといわざるをえないので賃料不受理の意思をひるがえしたと推定される事態の発生しない限り〔本件においてはかかる事態の発生したと認むるに足る証拠はない。〕現実の提供も口頭による提供をしても無駄なことであるからこれをしなくとも履行遅滞の責はないものと解する。)

しかしながら、増額請求権の存否並びにその範囲は後に裁判によつて確定されるものであり、しかもその決定額は増額の意思表示の効力発生時に遡るものである点にかんがみ、賃借人において賃貸人の請求にかかる賃料値上額そのものについては異議があるが相当賃料額に値上されること自体については異議があるわけではなく、賃貸人の請求する値上額を不当として争う根拠に一応の理由があり、相当賃料額を賃借人において認識することが困難な状況下にある場合、(地代家賃統制令の適用を受けない土地、建物については相当賃料額を調査し認識することは通常困難な状況下にあると考えられる。)従前の賃料額において甚しく妥当を欠くものでない限り、一応値上の協定或は相当賃料額の確定するまで、従前の賃料額によつて供託することは不誠意により或は支払能力のないことにより賃料支払を遅滞する場合と異なり賃貸借当事者間の信頼関係を破るものとは考えられないから、かかる遅延を理由として賃貸借契約を解除することは信義則に照し、権利の濫用として許されないものと解すべきである。

本件についてみると、前記認定の事情は、まさしく右の場合に該当するものと考えられるから原告両名が前記特約により被告の賃料債務の履行遅滞を理由として本件賃貸借を解除することは権利の濫用として無効である。

それならば、原告両名の本訴請求中、賃貸借の終了を前提として本件建物の明渡、明渡遅滞による損害金の支払を求める部分は失当として棄却しなければならない。

四、(延滞賃料の請求について)

原告らが被告に対し延滞賃料の支払を求めるものは(一)昭和二五年八月一日から同二七年一〇月末まで(二)同二七年一二月一七日から同三三年一〇月四日(予備的に解除の効果が発生したと主張する日の前日)まで一ヶ月五、二二五円の割合による賃料であることその主張の趣旨から明かであるが前に認定したように本件建物の昭和二五年八月一日以降の賃料は月額三、三二一円である。これに基き計算すると、前記期間における賃料合計額は三二〇、八六五円七三銭となること計算上明である。ところで被告は昭和二五年八月分から同二七年一一月分まで一ヶ月二、〇〇〇円の割合で供託しているのであるからそのうち同二七年一〇月分までの金額合計五四、〇〇〇円は、本来右供託は賃料の一部分についての提供をなし、それが拒絶されたものとしてなされたものであるけれども、前記認定した如き供託に至る事情の下においては、信義則上、一部弁済の効力を有するものと認むるのが妥当と考えられるので上記金額を控除した二六六、八六五円七三銭について、被告は原告両名に支払うべき義務がある。

よつて、原告らの本訴請求中延滞賃料の支払を求める部分は二六六、八六五円七三銭の限度(各一三三、四三二円八六銭。円未満切捨)において正当として認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 水谷富茂人)

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